スペイン 気ままに ネット旅

スペインをネットで気ままに旅するブログ

【コカ】中世の立派なお城のある街

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 こんにちは、きままです!みなさま、お元気ですか?

 今日は、気ままに、カスティーリャ・イ・レオン州のコカ(Coca)にやってきました。

 コカは、真ん中のマドリッドから見ますと、北北西の方角(左上)に位置します。

 コカの近くにある、比較的大きな街は、同じカスティーリャ・イ・レオン州セゴビアバリャドリッドです。セゴビアからは北北西に約50km、バリャドリッドからは南南東に約60kmです。セゴビアバリャドリッドを結んだ直線のちょうど真ん中のあたりに位置しています。
 インターネットでバスの時刻表を探してみましたが、はっきりとした情報はつかめませんでした。少しですが、コカの街のホームページに、バリャドリッドとの1日1本のバスの情報(コカ7:30発/バリャドリッド15:30発)が載っていました。それと、コカの西10kmにあるナバス・デ・オロ(Navas de Oro)の街のホームページに、セゴビアとナバス・デ・オロを結ぶバスの時刻表が載っており、その経由地の1つとしてコカもあることがわかりました。ただ、時刻表の先頭に、「2012年8月1日から有効」と書かれており、現在、実際に使われているかはわかりません。現地で確認してみるのがよいと思います。

街の歴史

 コカの街の歴史はとても古く、紀元前3500年頃には、コカ周辺に人類が存在したとか。紀元前550年頃、この地方は”Cauca“と呼ばれていたそうです。ドゥエロ川流域の肥沃な大地で、とても栄えていました。当時の人口は約6000人。ケルト民族系の言語が話されていたそうです。前2世紀頃には、ローマ帝国支配下に入ります。経済的にとても栄えたことにより、帝国内でも特権的な地方であったようです。一説によると、テオドシウス1世(Theodosius I、347 - 395)はこの地方で生まれたとか。彼は、ローマ帝国の国教にキリスト教を定めた大帝として有名です。
 その後は、西ゴート族の侵入を経て、イスラム教徒の支配下に入ります。その後、キリスト教徒による支配下に入ります。15世紀には、アルフォンソ・デ・フォンセカ(Alonso I de Fonseca、1418 - 1473) がこの地を治めるようになり、コカ城の建設が始まります。アルフォンソ・デ・フォンセカは、セビーリャやサンティアゴ・デ・コンポステーラ大司教を務めた人物です。ちなみに、アルフォンソ・デ・フォンセカは、同じくセビーリャやサンティアゴ・デ・コンポステーラ大司教を務めた、アルフォンソ・デ・フォンセカ・イ・アセベド(Alonso de Fonseca y Acevedo、1440 - 1512)の叔父さんです。
 16世紀には、この地方からアメリカ新大陸にたくさんの移民を送り出します。17世紀は、経済危機と人口減少の時代。19世紀になり、スペイン独立戦争(1808-1814)では、ナポレオン軍により街が破壊されました。その際、1807年にできた街のガラス工場も、たった1年稼働しただけで壊されてしまったそうです。20世紀に入り、スペイン市民戦争(1936.7-1939.4)では、フランコ陣営の街となりますが、戦闘地にはならなかったそうです。


 

コカ城

 街の入口には、中世に建てられた立派なお城がそびえます。コカ城(Castillo de Coca)は、15世紀に建てられた、ムデハル様式の代表的な建築物の1つです。スペイン国内でも、これほど完璧な姿のまま残っているお城は珍しいそうです。ムデハル様式とは、イスラム教徒の文化と、キリスト教徒の文化が融合した文化様式で、特に、建築・装飾芸術の様式を指します。
 お城の四隅には、大小の多角形の塔、側壁には円柱形の塔が立ち並び、その組み合わせが幾何学的な美しさを演出しています。
 素材にはレンガが使われています。加工がしやすいため、幾何学的な装飾をしやすいのに加え、赤みを帯びているので、西日が当たるととても美しいです。また、スペインの乾燥した青空にもよく映えます。
 主塔(Torre del Homenaje)の上からは、コカ周辺の自然豊かな大地が一望できます。その塔の内部には、礼拝堂、武器の保存庫、ミュージアムなどがあります。各時代において、コカが文化の交差点であったことから、これら各空間のつくりに、ロマネスク様式、ムデハル様式、モサラベ様式、ゴシック様式など、様々な建築様式を認めることができます。お城の中心部には、パティオ(中庭)があるそうです。
 お城の修復工事としては、1956-1958年、1998-1999年に、大きな修復工事が行われたそうです。

その他の見どころ

 コカの街には、お城の他にも、歴史的な見どころがたくさんあります。
 例えば、中世の旧市街地を囲んでいる城壁。7世紀につくられたもので、重厚なつくりの正門を含め、4つ門のがあります。城壁部は200m残っているそうです。
 サン・ニコラスの塔(Torre de San Nicolás)は、7世紀に建てられた、サン・ニコラス教会の建物の中で、唯一残った部分です。イスラム教徒の建築様式の影響を強く受け、国の重要文化財(Bien de Interés Cultural)に指定されているそうです。
 サンタ・マリア教会(Iglesia de Santa María La Mayor)は、ロマネスク様式の土台のうえにゴシック様式を重ねる形で建てられた教会で、内部には、この地を治めたフォンセカ一族のお墓があることで有名です。
 その他にも、街のほとりを流れる川にかけられた中世の石橋、丘の上にある小さな僧院、ローマ帝国時代の遺跡など、歴史的な街ならではの見どころがたくさんあります。ゆっくり散策してみるのもいいかもしれませんね。

街のホームページ 

 最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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【コリア・デル・リオ】「日本(ハポン)」という姓の人たちの住むグアダルキビル川沿いの美しい街

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 こんにちは、きままです!みなさま、お元気ですか?

 今日は、気ままに、アンダルシア州のコリア・デル・リオ(Coria del Río)にやってきました。

 コリア・デル・リオは、真ん中のマドリッドから見ますと、南西(左下)に位置します。

 マドリッドから直通で行くことのできる公共交通手段はないようです。セビーリャから南に約17キロのところにあるので、一度セビーリャまで行き、近郊バスでアクセスすることになります。近郊バスの系統は、M-140、M-141、M-142、M-143が行くようです。所要時間は、それぞれの経由地により異なりますが、約30分〜60分と幅があります。経由地や時刻表は、以下のページで調べることができます。

街のようす

 コリア・デル・リオは、グアダルキビル川のほとりにある街。川沿いには、カルロス・デ・メサ公園(Parque de carlos de mesa)があり、この地で暮らす人びとの憩いの場となっています。街なかには、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・エストレージャ教会(Iglesia de nuestra señora de la estrella)、ラ・ベラ・クルス礼拝堂(Ermita de la vera cruz)など、見どころが点在します。
 グアダルキビル川を少し下ったところに、ブラソ・デル・エステ(Brazo del Este)という湿地帯があり、野鳥や渡り鳥の特別保護地区となっています。そこでは、1年をとおして様々な鳥を観察することができるので、野鳥愛好家の人気スポットの1つになっているとか。

街の歴史

 コリア・デル・リオの歴史は古く、新石器時代、銅石器時代まで遡ることができます。その後、フェニキア人の入植、ローマ帝国時代、イスラム教徒による支配などを経て、13世紀の中頃、アルフォンソ10世(Alfonso X、1221-1284)により、キリスト教の領土になりました。現代には、1932年に西欧で唯一のキャビア生産工場がつくられ、1960年代まで生産されていたそうです。


 

「日本(ハポン)」姓の方々は慶長遣欧使節の末裔か!?

 わたしもこの記事を書くまで知らなかったのですが、コリア・デル・リオには、スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」(”Japón“)という姓をもつ人たちが、600人ほど住んでいるそうです。この姓は、慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)にゆかりがあるということです。
 慶長遣欧使節とは、江戸時代初期に、仙台藩主の伊達政宗(だてまさむね、1567-1636)が、スペインとローマへ派遣した使節のことです。その使節を率いたのは、家臣の支倉常長(はせくらつねなが、1571-1622)。ソテロ(Sotelo, Luis、1574-1624)というフランシスコ会士を案内役として、1613年(慶長18年)、一団は、陸奥(むつ)の国、月浦(つきのうら、現在の宮城県石巻市)を出港しました。目的は諸説あるようですが、奥州司教区の創設と通商交渉だったといわれています。一行は、太平洋を横断し、メキシコを経て、1615年(慶長20年)マドリッドに着き、フェリペ3世(Felipe III、1578−1621)に謁見、同年ローマで教皇パウルス5世に謁し、大変な歓迎を受けたそうです。しかし、本来の目的は達成されず、失意のうちに、1619年(元和5年)帰路につくことになります。帰国したものの、国内のキリスト教をめぐる情勢は大きく変わっていました。キリシタン禁教令が全国に敷かれていたのです。そのため、入国することさえも容易にできません。支倉常長は、晩年を不遇のうちに過ごし、1622(元和8年)に病気で亡くなりました。
 さて、その支倉常長の一行が、ローマ教皇からの親書を待つためにしばらく滞在していたのが、コリア・デル・リオです。滞在中、一行のうちの何人かが故郷には帰らず、この地にとどまる決意をしたといいます。一説によれば、彼らが、「ハポン」(”Japón“)という姓をもつ人たちの祖先ではないかというのです。本当のところはわかりませんが、「ハポン」(”Japón“)姓の家系の赤ちゃんには、日本人の赤ちゃんにも見られる、蒙古斑(もうこはん)が認められるということです。
 こうしたご縁で、コリア・デル・リオは、仙台市姉妹都市になっています。1992年には、仙台市より、グアダルキビル川沿いのカルロス・デ・メサ公園(Parque de carlos de mesa)内に、支倉常長銅像が寄贈されました。2014年、慶長遣欧使節400周年記念の際には、仙台市から26名の市民訪問団がコリア・デル・リオを訪れ、「ハポン」(”Japón“)姓の方々との交流会を開き、大いに盛り上がったということです。そのときのようすが、仙台市のホームページで紹介されています。

  また、東日本大震災のあとは、3月11日になると、支倉常長銅像の前で、慰霊のための行事がささやかに行われているそうです。
 ネットを検索していると、コリア・デル・リオに住む「ハポン」(”Japón“)姓の方々について、次のような記事を見つけました。ご興味があれば、どうぞ!

街のホームページとSNS 

 街を紹介するホームページやSNSもあったので、ご興味があれば、どうぞ!

 最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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【エル・ロシオ】スペインのもう1つの巡礼の街(サンティアゴ巡礼はものすごく有名だけれど・・・)

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 こんにちは、きままです!みなさま、お元気ですか?

 今日は、気ままに、アンダルシア州のエル・ロシオ(El Rocío)にやってきました。

 エル・ロシオは、真ん中のマドリッドから見ますと、南西(左斜め下)に位置します。

 マドリッドからですと、直通で行くことのできる公共交通手段はありません。そのため、近くの街まで行って、そこからのアクセスとなります。バスですと、DAMASというバス会社が運行していて、セビーリャからは約1時間30分、アルモンテからは約20分で行くことができます。バス会社(DAMAS)のホームページで、時刻表を調べることができます。

巡礼の街

 スペインで「巡礼」といえば、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す、サンティアゴ巡礼がとても有名ですが、エル・ロシオも、スペインの巡礼地の1つとして有名です。毎年、5月下旬から6月初旬にかけての聖霊降臨祭(ペンテコステ)にあたる日に、この街の15キロ北にある、アルモンテに集まった巡礼団が、馬車、幌馬車、徒歩などで、笛と太鼓の音に合わせながら、エル・ロシオの聖堂まで行進します。いつもは人気のない小さな街ですが、このときばかりは歌に踊りに大賑わい。セビーリャ、ウエルバ、カディス、その他、スペイン全土から、多い時には数10万人も集うのだとか。みなの目指す、街の中心の白亜の聖堂のなかには、聖母マリア像が祀られています。この聖母マリアの別名は、” La Blanca Paloma"(白いハト)というそうです。州のホームページに聖堂の写真がありました。どうぞ!

 1週間のお祭り騒ぎが終わり、巡礼者たちが帰った後は、またもとの静かな静かな街に戻るります。この巡礼についての情報満載のホームページを見つけました。ご興味があれば、どうぞ!写真、歴史、プログラムなどクリックしているだけでもおもしろそうです。


 

聖堂のマリア像にまつわる伝説

 さて、この街の聖堂に祀られている聖母マリア像には、ある伝説があるようです。

 15世紀の初め、ひとりの狩人がアルモンテから15キロほど南に下った山奥の、”La Rocina”(ラ・ロシナ)と呼ばれていた一帯で狩りをしていると、猟犬が大木の前でしきりに吠えます。そこで近づいてみると、その大木の根本に、美しい白い麻の衣をまとったマリア像を見つけました。狩人は、この像をアルモンテまで担いで帰ることに。ところが、あまりに重くて疲れてしまって、途中で眠り込んでしまいました。目が覚めてみると、マリア像は影も形もありません。もしやと思い、引き返してみると、元の場所に見つけた時と同じお姿でいらっしゃったそうな。アルモンテに帰って、仲間にこの体験を語り、みんなでその場所に行ってみると、たしかに、マリア像があります。神父様に相談したところ、マリア様はきっとこの場所がお好きなのだろうからお堂を建ててさし上げよう、ということになりました。

 これが、エル・ロシオの聖母マリア像にまつわる由来の1つなのだそうです。

馬に揺られてゆっくりお散歩

 エル・ロシオは、小さい街。その中心には白亜の聖堂、街中には小さな白い家が点々としていて、とても美しい街並みです。また、ヨーロッパでも最大級の自然保護区で、野鳥の生息地として有名なドニャーナ国立公園に面しています。のんびりした街並みから少し足を延ばして、ドニャーナ国立公園まで、馬にまたがりゆっくりお散歩。そうしたツアーがあるみたいなので、参加してみると、一味違った旅の思い出ができるかもしれません。

街のホームページ

 最後に、州が紹介する街のホームページです。より詳しい情報へのリンクが貼ってあるので、便利です。

 最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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