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【パロス・デ・ラ・フロンテーラ】1492年コロンブスが第1回目の航海へ出発した港町

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Muelle de las Carabelas

 こんにちは、きままです!みなさま、お元気ですか?

 今日は、気ままに、アンダルシア州のパロス・デ・ラ・フロンテーラ(Palos de la Frontera)にやってきました。

パロス・デ・ラ・フロンテーラの場所とアクセス

 パロス・デ・ラ・フロンテーラは、真ん中のマドリッドから見ますと、南西(左下)に位置します。ティント川が太平洋に注ぐ河口沿いの港町です。

 マドリッドから直通で行くことのできる、公共の交通手段はありません。一度近くのウエルバまで行って、そこからローカルバス(M-403)でアクセスすることになります。この路線(M-403)は、ウエルバとモゲル(Moguer)を結んでいます。モゲルは以前に、気ままに訪れた、フアン・ラモン・ヒメネスの生まれ故郷。パロス・デ・ラ・フロンテーラは、モゲルから南西方向に約9キロ、ローカルバス(M-403)で15分ほどととても近いので、ちょっと寄ってみるのに最適です。

コロンブスゆかりの地

 1492年8月3日、コロンブス(Cristóbal Colón、1451頃-1506)は、この街の港から、新大陸発見を夢見て、第1回目の航海へ乗り出しました。出帆した船は3隻。サンタ・マリア号とピンタ号とニーニャ号です。彼の書いた航海誌によれば、この港を「日の出三〇分前」(『完訳 コロンブス航海誌』(平凡社、1993、p.39)に出発したそうです。彼らの船団は、この航海で、アメリカ新大陸を発見し、翌1493年3月15日、この港に無事生還しました。
 かつて栄えた港も、現在では使われなくなってしまったとのこと。街の南、ティント川のほとりには、コロンブスらが航海に用いた3隻のカラベラ船のレプリカが浮かび、周りには15世紀当時の桟橋のようすが再現され、ミュージアムになっているそうです。

街のようす

 パロス・デ・ラ・フロンテーラの周辺や街なかには見どころがたくさん。街の横を流れるティント川(Rí­o Tinto)沿いを下ると、大きな湿地帯(Lagunas de Palos y Las Madres)があり、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を行き来する渡り鳥の生息地として重要な役割を果たしています。街なかには、興味深い歴史的建造物が多く残っています。コロンブスが航海前に泊まって計画を練ったといわれるラビダの修道院(el Monasterio de La Rábida), コロンブスの船団員として大活躍したピンソン3兄弟の生家(la Casa de los Pinzón), 1492年コロンブスらにピンタ号とニーニャ号を与える勅令が読み上げられるとともに乗組員の募集がなされたサン・ホルヘ教会(la Parroquia de San Jorge)、コロンブスの船団に水を供給したという伝説の残る ホンタニージャの泉(la Fontanilla)などがあります。


 

 大航海時代に興味のある方には、オススメの街です!

街の紹介ページ

 州のホームページの中にある街の紹介ページです。ご興味があれば、どうぞ!

 最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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【モゲル】『プラテーロとわたし』のフアン・ラモン・ヒメネスの生まれ故郷

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 こんにちは、きままです!みなさま、お元気ですか?

 今日は、気ままに、アンダルシア州のモゲル(Moguer)にやってきました。

モゲルの位置

 モゲルは、真ん中のマドリッドから見ますと、南西(左下)に位置します。

 マドリッドからこの街へ直通アクセスすることのできる公共の交通手段はありません。近くのウエルバ(Huelva)まで行けば、そこからローカルバス(M-400とM-403系統)が出ているようです。ウエルバまでは、セビーリャ(Sevilla)から列車かバスで、1時間半ほどで行くことができます。

ヒメネスの生まれ故郷

 モゲルといえば、1956年にノーベル文学賞に選ばれた詩人、フアン・ラモン・ヒメネス(Juan Ramón Jiménez、1881 – 1958)の生まれ故郷です。岩波文庫でも読むことのできる、『プラテーロとわたし』(Platero y yo)が知られているのではないでしょうか。この街を舞台に、月のような銀色をした、やわらかい毛並みのロバ、プラテーロと過ごした穏やかな日々をつづった散文詩です。街の北東、リベーラ通り(Calle Ribera)には、彼の生家があります。また、生家から約700メートル、歩いて9分ほどのところに、ミュージアムもあります。ヒメネスが5歳から26歳まで実際に住んでいた家をミュージアムにしたものです。建物は18世紀に建てられたもので、一度は古くなってしまいましたが、きれいにして、ミュージアムに生まれ変わりました。州のホームページの中に、生家とミュージアムを紹介するページがありましたので、ご興味があれば、どうぞ!どちらも、写真で内部のようすを見ることができます。

 さらに、ミュージアムを運営する協会の充実したオリジナルホームページを見つけましたので、よろしければ、どうぞ!

サンタ・クララ修道院

 街には、歴史的建造物が多くあります。1つ紹介するなら、サンタ・クララ修道院(Monasterio de Santa Clara)。内部には、大理石でつくられた、この修道院創始者たちのお墓があります。これらは、ミケランジェロ(Michelangelo、1475 - 1564)の弟子であるジャコモ・デッラ・ポルタ(Gian Gacome della Porta、1533年ごろ - 1602年)による作だとされています。また、祭壇の前や壁のくぼみに据えられた複数の美しい彫像も要チェックです。
 また、この修道院は、アメリカ新大陸を発見したコロンブス(Cristóbal Colón、1451頃-1506)にちなんだ場所としても有名です。1493年2月14日、彼らの乗った船はポルトガル沖で大しけにあいました。その時、無事に帰国できた暁には、この修道院で夜を徹して祈りを捧げるという誓い(El voto colombino)を皆で立てました。その誓いのおかげでか、この大しけを乗り切り、1493年3月15日、無事にすることができました。乗組員たちは、その足でこの修道院へ向かい、徹夜の祈りを捧げたそうな。大しけ時の誓いについては、『完訳 コロンブス航海誌』(平凡社、1993)のp.261~p.265に載っています。ご興味があれば、見てみて下さい。

モゲルの観光地紹介ページ 

 市のホームページの中に観光の見どころを紹介するページをみつけましたので、ご興味があれば、どうぞ!

 最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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【アヤモンテ】グアディアナ川河口にあるポルトガルとの国境の白い街

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 こんにちは、きままです!みなさま、お元気ですか?

 今日は、気ままに、アンダルシア州のウエルバ県にある、アヤモンテ(Ayamonte)にやってきました。

アヤモンテ(Ayamonte)の場所

 真ん中のマドリッドから見ますと、南西(左下)に位置します。グアディアナ川が大西洋に注ぐ河口に位置します。マドリッドからの直通の公共交通機関はバスしかなく、約9時間かかります。夜行バスもあります。遠いです。鉄道ですと、一度同じアンダルシア州のウエルバ(Huelva)まで行き、そこでバスに乗り換えます。マドリッド−ウエルバ間は電車で約4時間半、ウエルバ−アヤモンテ間はバスで1時間程です。同じアンダルシア州のセビーリャ(Sevilla)からですと、バスで直通約3時間。電車ですと、ウエルバまで約1時間半、そこからバスに乗り換えて約1時間です。

街のようす

 街に面するグアディアナ川(Guadiana)を渡れば、そこはポルトガル。ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ(Vila Real de Santo António)の街です。街の北側に近代的な橋が架かっていて、車で渡ることもできます。フェリーも運行しており、運行本数も多く、乗船時間は10分ほど。スペイン、ポルトガル両国を気軽に行き来することができます。街なかには、細い路地が入り組み、白い家々が建ち並び、魅力に富んでいます。建造物としては、16世紀に建てられたアングスティアス教会(Ia iglesia de las Angustias)、美しい小鐘楼ときれいな格天井で有名なサン・フランシスコ修道院(el convento de San Francisco)、13世紀にイスラム教寺院をもとに建てられたサルバドール教会(la Iglesia del Salvador)などが有名です。

美しい海岸線

 この辺りは、コスタ・デ・ウエルバ(Costa de Huelva)と言われ、アヤモンテから東へドニャーナ国立公園(Parque nacional de Doñana)まで、美しい海岸線が続きます。その間には、避暑地がたくさんあります。イスラ・カネラ(Isla Canela)、イスラ・クリスティナ(Isla Cristina)、ラ・アンティーリャ(La Antilla)、プンタ・ウンブリーア(Punta Umbría)などが有名です。その他のおすすめスポットとしては、緑豊かな沼地であるマリスマス・デル・リオ・ピエドラス・イ・フレーチャ・デル・ロンピード(Marismas del Río Piedras y Flecha del Rompido)、エル・ポルティル湖(la laguna de El Portil)などがあります。海岸線には、松やユーカリの美しい林が続いているそうです。

パラドール

 グアディアナ川に面する小高い丘の上には、美しいパラドール(parador、国営ホテル)があります。電車やバス、そしてフェリーを乗り継いでやってきのたですから、パラドールで美味しいものでも食べて、ゆっくりするのもいいですね。テラスからは眼下に、白い家々の街並み、グアディアナ川、対岸のポルトガルが見渡せます。夕日の美しさは格別だそうです。夏はプールもあり、このパラドールを起点として、周辺に点在する小さな村々に、自転車、歩き、馬!?で行くもよし。美しい海岸線の散策を満喫してみたいところです。
 ホームページでは、パラドールの内部の様子や、周囲の美しい景色の写真がたくさん見られます。是非どうぞ!

ポルトガルまで、フェリーで10分!?

 アヤモンテに来たら、ぜひ行ってみたいのが、グアディアナ川対岸のポルトガルの街、ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ(Vila Real de Santo António)。ポルトガルの方が物価が安いので、買い物に行く地元の人も多いとか。
 この街には、小泉八雲(1850 - 1904)と並ぶ日本文化の紹介者として知られる、モラエス(Venceslau José de Sousa de Morais、1854 - 1929)の『おヨネとコハル』(Ó-Yoné e Ko-Haru、1923)などの作品を展示した、マヌエル・カバナス博物館(Museu Manuel Cabanas)もあるそうです。彼は、神戸・大阪総領事を務め、日本人と結婚し、晩年は徳島で日本文化の研究・著述に専念したそうです。
 わたしも、何十年も前に、この街を訪れたことがあります。その時は、お隣の国のポルトガルの首都リスボンから夜行に乗り、ファーロ(Faro)という大西洋に面した街を経由して、翌朝8時頃、ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ(Vila Real de Santo António)に着きました。その足で、フェリーでグアディアナ川を渡り、スペイン側のアヤモンテに向かいました。夏の朝のフェリーがなんとも気持ちよかったこと。何十年経った今でも、その時の感覚をすぐに思い出すことができます。フェリーといっても漁船のような小ささで、朝焼けがとてもきれいで、朝の海風のひんやりとした感じがととても心地よかったです。海鳥もフェリーついてきたりして、旅情を非常に誘われました。対岸に近づいてくるアヤモンテの街の白さもとても印象的でした。アヤモンテに行かれたら、フェリーでポルトガルに渡ってみること、是非オススメです!(豆知識ですが、時差が1時間ありますので、川を渡った後、時計の針の調整をお忘れなく。)わたしが乗ったフェリーかわかりませんが、今でも運行していると思われるフェリー会社のホームページがありました。この会社のフェリーは、平日は10時から19時まで、土日は11時から17時まで、1時間に1本の運行があるようです。乗船料は11歳以上2.1ユーロ、4歳から10歳まで1.3ユーロだそうです。ご興味があれば、どうぞ!

街のホームページ

 アンダルシア州のホームページのなかに、アヤモンテを紹介するページがありました。ご興味があれば、どうぞ!

   Ayamonte - Web oficial de turismo de Andalucía

 

 最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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