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【コリア・デル・リオ】「日本(ハポン)」という姓の人たちの住むグアダルキビル川沿いの美しい街

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 こんにちは、きままです!みなさま、お元気ですか?

 今日は、気ままに、アンダルシア州のコリア・デル・リオ(Coria del Río)にやってきました。

 コリア・デル・リオは、真ん中のマドリッドから見ますと、南西(左下)に位置します。

 マドリッドから直通で行くことのできる公共交通手段はないようです。セビーリャから南に約17キロのところにあるので、一度セビーリャまで行き、近郊バスでアクセスすることになります。近郊バスの系統は、M-140、M-141、M-142、M-143が行くようです。所要時間は、それぞれの経由地により異なりますが、約30分〜60分と幅があります。経由地や時刻表は、以下のページで調べることができます。

街のようす

 コリア・デル・リオは、グアダルキビル川のほとりにある街。川沿いには、カルロス・デ・メサ公園(Parque de carlos de mesa)があり、この地で暮らす人びとの憩いの場となっています。街なかには、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・エストレージャ教会(Iglesia de nuestra señora de la estrella)、ラ・ベラ・クルス礼拝堂(Ermita de la vera cruz)など、見どころが点在します。
 グアダルキビル川を少し下ったところに、ブラソ・デル・エステ(Brazo del Este)という湿地帯があり、野鳥や渡り鳥の特別保護地区となっています。そこでは、1年をとおして様々な鳥を観察することができるので、野鳥愛好家の人気スポットの1つになっているとか。

街の歴史

 コリア・デル・リオの歴史は古く、新石器時代、銅石器時代まで遡ることができます。その後、フェニキア人の入植、ローマ帝国時代、イスラム教徒による支配などを経て、13世紀の中頃、アルフォンソ10世(Alfonso X、1221-1284)により、キリスト教の領土になりました。現代には、1932年に西欧で唯一のキャビア生産工場がつくられ、1960年代まで生産されていたそうです。


 

「日本(ハポン)」姓の方々は慶長遣欧使節の末裔か!?

 わたしもこの記事を書くまで知らなかったのですが、コリア・デル・リオには、スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」(”Japón“)という姓をもつ人たちが、600人ほど住んでいるそうです。この姓は、慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)にゆかりがあるということです。
 慶長遣欧使節とは、江戸時代初期に、仙台藩主の伊達政宗(だてまさむね、1567-1636)が、スペインとローマへ派遣した使節のことです。その使節を率いたのは、家臣の支倉常長(はせくらつねなが、1571-1622)。ソテロ(Sotelo, Luis、1574-1624)というフランシスコ会士を案内役として、1613年(慶長18年)、一団は、陸奥(むつ)の国、月浦(つきのうら、現在の宮城県石巻市)を出港しました。目的は諸説あるようですが、奥州司教区の創設と通商交渉だったといわれています。一行は、太平洋を横断し、メキシコを経て、1615年(慶長20年)マドリッドに着き、フェリペ3世(Felipe III、1578−1621)に謁見、同年ローマで教皇パウルス5世に謁し、大変な歓迎を受けたそうです。しかし、本来の目的は達成されず、失意のうちに、1619年(元和5年)帰路につくことになります。帰国したものの、国内のキリスト教をめぐる情勢は大きく変わっていました。キリシタン禁教令が全国に敷かれていたのです。そのため、入国することさえも容易にできません。支倉常長は、晩年を不遇のうちに過ごし、1622(元和8年)に病気で亡くなりました。
 さて、その支倉常長の一行が、ローマ教皇からの親書を待つためにしばらく滞在していたのが、コリア・デル・リオです。滞在中、一行のうちの何人かが故郷には帰らず、この地にとどまる決意をしたといいます。一説によれば、彼らが、「ハポン」(”Japón“)という姓をもつ人たちの祖先ではないかというのです。本当のところはわかりませんが、「ハポン」(”Japón“)姓の家系の赤ちゃんには、日本人の赤ちゃんにも見られる、蒙古斑(もうこはん)が認められるということです。
 こうしたご縁で、コリア・デル・リオは、仙台市姉妹都市になっています。1992年には、仙台市より、グアダルキビル川沿いのカルロス・デ・メサ公園(Parque de carlos de mesa)内に、支倉常長銅像が寄贈されました。2014年、慶長遣欧使節400周年記念の際には、仙台市から26名の市民訪問団がコリア・デル・リオを訪れ、「ハポン」(”Japón“)姓の方々との交流会を開き、大いに盛り上がったということです。そのときのようすが、仙台市のホームページで紹介されています。

  また、東日本大震災のあとは、3月11日になると、支倉常長銅像の前で、慰霊のための行事がささやかに行われているそうです。
 ネットを検索していると、コリア・デル・リオに住む「ハポン」(”Japón“)姓の方々について、次のような記事を見つけました。ご興味があれば、どうぞ!

街のホームページとSNS 

 街を紹介するホームページやSNSもあったので、ご興味があれば、どうぞ!

 最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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